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ジャパニーズクラウド(Japanese Cloud)はアメリカの人間組織、または、政治体制や裁判方式によって生じた日本国と日本人に対する不正不法不平等処置に対して抗議をするために立ち上がった良識ある日本人同志の社会正義奉仕活動サイトです。

創始者: 大石理玖

アメリカ不正裁判

アメリカ社会には日本人が当たり前に持っているような道徳心というものがない。それは、アメリカ社会の基礎が白人がいつも優越しているという考えが自然とあった白人社会が作った組織観念によるものであり、その組織観念の中には、不平、不正、不平等などといったものは当たり前のことだと考えているところがあるらしい。このようなことから、アメリカ裁判は日本人からすると、不正だらけである。東京裁判のなかに見られる不正性は、現在の進行中の裁判、例えば、グレンデール慰安婦問題裁判にも当てはまる部分が非常に多い。

―東京裁判―

第二次世界大戦後、日本軍を処罰するために行われた極東国際軍事裁判(一般に“東京裁判”)に関しては、もう既に多くの有力な専門家がその歴史真実と意見を述べているので、同じような内容をここで繰り返す必要はないと考える。

よってここでは、アシス・ナンディ (Ashis Nandy) が書いたラダビナッド・パル (Radhabinod Pal:一般に “パール判事” )に関する、日本人にとって、非常に興味深い考えをまとめた論文内容を紹介したい。アシス・ナンディはニューデリーの発展途上社会研究センターの政治心理学者で科学社会学者、さらに文明評論家であるという、インド国内外で活躍する代表的知識人である。 2008年には、Foreign Policy Magazine(フォーレンポリシーマガジン:外交政策マガジン)が選んだ100人の国際的思想リーダーズリストの中に、アシス・ナンディの名前は上げられている。

ここに記した内容は政治心理学者としてのナンディが、東京裁判において、何故、パル判事が日本軍被告人全員の有罪判決を目指していた他の全判事に反対し、たった一人で、日本被告人全員の無罪を主張したのか、ということについて分析したものである。ナンディはこの内容をヴァジニア大学(1991)とエディンバーグ大学(1992)の講演で語っている。ここに載せる日本文は英語原文の直訳ではなく、重要部分だけを引き抜いた簡略された内容で、かつ、読者が分かり易いように多少の解説を加えている。この資料に対して強い興味を持たれた読者は、是非、原文を読んで頂きたい。そして、何かここの内容に異議があると感じた方は、遠慮なく、その意見を述べていただきたい。読者の意見をウェブ上で公開し、我々が話し合うことができる重要な話題として、是非取り上げていきたいと思う。

ナンディの論文は、先ず最初に、長い歴史を持つインド国に語り伝えられて来た英雄の業績や民族の歴史などを歌った叙事詩(EPIC)“マハーバーラタ”の説明から始まる。何世紀もの間、何億というインドの人々はこの話と一緒に人生を過ごし死んでいったと言えると、ナンディは説明している。

この話はその“マハーバーラタ”の後方部分に出てくる語りであり、指導神であったクリシュナが行ったと伝えられる最後の政治行動として、インドの人々にはよく知られている話である。クルクシェトロの劇的な戦いにおいて、不道徳ものの王ドゥルヨーダナ(Duryodhana)は敗北し、湖に逃げ隠れる結果となる。そのことを知ったパーンダヴァ兄弟は、王ドゥルヨーダナが兄弟にした数々の悪事への復讐のために、王ドゥルヨーダナを殺害しようする。そして、その兄弟の一人であるビーマ(Bhima)は棍棒による二者間闘争(duel)に挑む。二者間闘争(duel)では、その戦いに参加する当の二者以外の人間が手助けをしてはいけないのが規定である。その決闘中、ドゥルヨーダナに対するビーマの戦いぶりがよい方向に向かっていなく、ビーマは打ち負かされそうになってきた。その時、それを周辺で立って見ていたクリシュナがビーマにドゥルヨーダナの大腿を攻撃しろとジェスチャーで指示を出した。そのクリシュナの指示に従って、ドゥルヨーダナの大腿を攻撃したことによって、ビーマはドゥルヨーダナを打ち負かすことができた。棍棒を用いた戦いにおいては、このような攻撃の仕方はクシャトリヤ(武士階級)の決闘規範の反則であった。やがてドゥルヨーダナは倒れ、死が近くなった時、クルシュナに対して、この決闘戦でこのような卑劣な行動を取ったことをとがめ、クルシュナを権威的な態度で訓戒した。その訓戒によって、神クルシュナでさえ、自分の行動は恥ずかしきものだったと感じた。そして、ドゥルヨーダナが死んだときには、不正な決闘の被害者となったドゥルヨーダナこそが“真の武士”であると天の神々は讃え、ドゥルヨーダナの死体の上に天国から花吹雪が舞い落ちて来たと伝えられる。

この叙事詩がインドの人々に教えることは、そしてこれは特に宗教者でない人々も持つ一般的世界観でもあるが、“誰一人として完璧な人間とは存在せず、たとえ、神ですら完璧ではない”ということである。そして、誰も絶対的な“邪悪”者というわけでもない。皆なにか欠点を持っている、だが、誰しもその欠点を相殺しうる特質がある。もし、クルシュナの中に善悪の判断に欠ける部分が少しでもあるとすると、ドゥルヨーダナは誤り導かれた戦士でありながらも、戦士としての勇敢な部分がある。英雄と悪党という二つの要因が反対に立って対立的に存在するのではなく、両者は部分的に入り組んだ関係を持っている。このような不完全な世界で、我々は道徳的選択をしなければならない。英雄はただ多くの場合英雄であり、悪党もただ多くの場合悪党であるというだけのことだ。このような世の中では、戦闘の規定というものは復讐のための必然的な権利よりも優先的に考慮されるべきである。不完全道徳と不完全不道徳の世界では、このような戦闘の規定だけが、戦いに必然的な道徳節操として尊重されるべきことであると言える。

この“マハーバーラタ”の説明の続きに関しては、先ずここからはラダビナッド・パル(Radhabinod Pal:パール判事)についての説明をし、その後、パル判事の東京裁判での意見内容と“マハーバーラタ”の話を関連付けながら話しをしたい。

次にパルについてのナンディの個人の考えを述べている。ここで”私”というのは、ナンディ自身のことである。

ラダビナッド・パル(Radhabinod Pal: 1886-1967)には、私が子供の頃と十年代に、時々会ったものだった。今となっては、インドの国内でさえも、彼のことはもうほとんど忘れ去られてしまった。しかし、40年前のその頃は、大変よく名の知られた存在であった。彼はカルカッタのハイコート(高等裁判所)から引退した判事で、カルカッタ大学の旧副総長でもあったし、さらに、インド国内と国際上の重要司法委員会のメンバーでもあった。

私の父よりも20歳くらい年上であったが、パルはいつも、私の家族とはとても親しい関係にあって、父の招待に応じて、時々、会の議会の進行役を勤めたり、小グループの会合へ臨席の栄を賜わったりした。また、彼は私の家にも1、2度か訪れた。彼は隠居生活に入っていたが、公的な範囲でも活動を続けていた。

彼が背の高い、浅黒い、細い体つきの人であり、丁寧な優しい話し方をする人だったと、私は覚えている。

写真では普通は西洋服を着ている彼が現れていたが、私が彼に会ったときには、いつも、インドの男性が身に着ける腰巻(dhoti)を身にまとっていた。冬の間には、時々、彼の世代の多くのベンガル人がするように、ベンガル服に肩掛けをまき、靴に靴下という、あまり見られなくなってきた服装をしていた。そのときには、まるで祖父のような感じに見えた。

彼の最後の20年間の人生は、独立国インドでの生活を送った。彼の大功は、若い民族国家によって、時々使用された。だが、当時に出現していたもっと若く、もっと目立つ法律の指導者達の存在で、パルの名はすでに影を落としていた。

とにかく、当時はベンガル人の人生とカルカッタの市の経過の中で、嵐のようなざわめきがあった時期だった。インド亜大陸の分割の結果とは別に、宗教間同士の大虐殺が起こり、独立国インドとしての初の選挙、さらに、5年計画の開始、等といった数々の活気が沸く事件があったのだ。パルのことが忘れられても仕方のないことだった。

しかし、子供だった私にでさえ、パルが一筆を引く運命の人であったと知っていた。パルが公共の場で人々に紹介されるときに、人はあらゆることをパルについて言ったかも知れないが、なんと言っても、彼の主たる名声は、彼が極東国際軍事裁判の判事の一員であったということだ。

この裁判というのは、戦争犯罪者を裁く軍事裁判で、1946年から1948年にかけて行われたものであったが、戦後ドイツで行われたニュルンベルグ裁判に比較すると、東洋のもので聴衆者は少なかった。

私が知っていた多くのカルカッタ人は、東京におけるこの裁判において、他の判事の判決に追従せず、型破りの反対意見を取ったパルを賞賛した。だが、一般庶民の記憶として入っていたものは、パルの型破りの反対判決がとてつもない重大なことだったというわけではなかった。

何年も後になって、私が気付いたことは、戦争犯罪人として、日本の先導者を有罪とする判決に対して、パルが出した判決が歴史書に一筆を残すようなことであったということに関して、当時でさえも、インド国と日本国以外では、少数の人間だけがパルのことを真剣にとらえていた、ということだった。

(パルは判決でこう述べている。)

“前ページに述べられた理由により、それぞれ、かつ、すべての被告人達は、それぞれ、かつ、すべての起訴告発に対して有罪であるとみえるものはなく、よって、私は、全員、無罪放免と判決する。[略] 公平な法廷として、法人的な装いをしながら、裁判の仕組みが、本質的には、政治的目的だけを達成しようとする企みのある心情を正当化する態度を、我々は取るべきではない。正義という名が、敵意を含んだ復讐を遂行するための(犯罪内容の)誇張拡大のために使用されることは、認められるべきではない。” [Radhabinod Pal, Crimes in International Relations (Calcutta, 1955), pp. 193-94]

少数の人々だけが、彼の判決を額面通りに受け取った。その理由の一部は、戦争犯罪者と見なされた全日本軍人達を、パルがすべて無罪としたことであった。しかしながら、新聞を読んでいたインドの人はパルの判決を喜んだ。多くは、単に、インド国の人間がこの歴史的瞬間の名高い事件を共にしたということを幸運だと感じた。

パルの判決の法律的哲学的内容というよりも、むしろ、パルが国際軍事裁判に参加したということに誇りを感じた。

インドの他の人々は、日本の戦争指導者がインド独立運動―特に、スバス チャンドラ ボース(1895-1945)のインド国民軍―を支えてくれたことに対する恩返しを、インドの名士がやったということで、拍手喝さい賞賛した。スバス チャンドラ ボースとは、インドの独立のために、日本軍と一緒に第二次大戦で戦った人である。

パルの判決の本質的な性格に対して、非常に真剣な興味を持った人々は、ほんの少数であった。これもまた、この判決がインド国民が下した判決であり、カルカッタにおいて発行されたということからの興味にすぎなかった。

(続く) 

 

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